少し前に登った帆柱連山の花尾山



この山頂にあったという花尾城を調べていると、永禄10年(1567年)、その城主の麻生鎮里(しげさと)は、対立していた一族の麻生隆実(たかざね、遠賀郡山鹿城主)と戦ったとの史実を知った。

遠賀川の河口にある小高い山城である山鹿城は、場所こそ知るが行ったことはなかった。
さらにを調べると1587年(天正15年)の豊臣秀吉による「九州征伐」後に廃城となったという。

その後も遠賀川の河口という要地のこの場所は、秋月藩・東蓮寺藩米倉があったようで、その跡を示す石碑が建てられている。

歴史を刻むこの小高い山に、無性に登ってみたくなった。

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要所である遠賀川河口に建つ石碑

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まずは築山に向かう

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百段に満たない石の階段を昇り詰めると、ここが築山の頂上らしい

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ここから一級河川の遠賀川の河口を間近に見下ろすことができる。 もとに戻り、山鹿城址のあった城山への登り口を探す

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見つけた登り口 矢印方向ではなく、このまま真っすぐに進む

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急な階段が続く

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ここが山鹿城址のようだ

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なんとなく荒れ果てた感が残る風景

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山頂の標識など見つからなかったが、この辺が一番の高台

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こちらは権現堂山 二の丸っといった感じ

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下ると船の安全を願う鳥居

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下から見上げた山鹿城址

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雲一つない青空だった

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